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特大そばかっけ、にんにく味噌をつけて。
つぼ鯛って初めて食べました。脂がのっててすごくおいしい。
すいとん、さすがの食感でうなります。こんなん作れるようになりたい!
しめにまた中華そば。
12時過ぎても、元気に飲み続ける木村さん。彼のパワフルナイトが、八戸をここまでメジャーにしてきたんですよね(^ ^;
八戸といえば、みろく横丁のわが家。今年はいけないかも・・と思っていましたが、やはり来ることになりました。
わがまま娘作、チョコ。なかは、黒にんにく、かなりのおいしさにびっくりです。
こちらは、なまこの酢の物を、なまこのおさしみ、というようです。
せんべいをしいた地酒。定番です。
八戸のある高校で販売されてブレイクした名物、チキンカツ、お好みフライの話題が出て、
私がどうしてもほしい・・といってましたら、市役所のイケメン石鉢公大さんが、買ってきてくださいました。
女子にはグラタンフライ、男子はチキンカツが人気だそうですが、
お好みフライが、かなりレベル高く、私は男子なのか、チキンカツも気に入りました。
さめててこんなにうまいのはすごいです。
カツなのに、おかずではなく、一食完結型。せんべい汁に続く、八戸名物ですよね!!
北のコナモン博覧会の関連イベント、お好み焼教室が、先日開館した八戸HACHIでありました。
昨晩、おかげさんで、楽しくご一緒させてもらった、
八戸市まちづくり文化観光部、黄色のセーターが素敵な部長の大岡長治さんと、課長の在家秀則さん。
お二人の漫才コンビも最高でしたが、観光部のみなさんは、どなたもすごくハンサムで、しかもトークもうまい、いうことなしの役者ぞろいなんです。
大岡さんは近江商人の末裔でいらっしゃいます。
午前、午後、各8組のみなさんに、おいしいお好み焼をやいてもらいました。
Hachiは、とても素敵な施設です。フレッシュジュースのスタンドもあり、木村さんが差し入れしてくださいました。
Hachi 特製ワッフル。
れんさ街を出たとこにあるたこ焼屋さん。
木村さんが、よく買ってるというので、念のため買いました。
これもおかげさん名物
せんべいピザは、二戸の鉄板煎餅もうまいですが、こちらもいけます。
長いもも新食感で、いけます。
ジルケン木村さん作、サバ缶せんべい
いかのわた焼き
ご飯を入れてもらって、うま焼き飯
八戸れんさ街、おかげさんの看板娘、美人姉妹。
以前も来ていましたが、酔っ払ってたからか、こんなにおいしいお店とは知らなくて(^ ^;
八戸Hachi での翌日のお好み焼教室の準備のあと、八戸市のみなさんとおいしいお店に連れて行ってもらいました。
うるいと、あかはたもちの酢味噌あえ。あかはたもちは、小倉のおきうとをもっちりさせた感じです。
なかでも、この海鮮ひっつみは、生うに満載なのです!
ひっつみの食感がまたすばらしい。
塩味のあっさりですが、海の幸の香りと旨味で、何度もおかわりしてしまいました。
震災の被害のあった八戸、岩手県久慈、二戸では、今年も北のコナモン博覧会が開催されました。
それに関連して、先月、八戸のどまんなかにオープンした、「ハッチ」という施設のキッチンスタジオで、
お好み焼教室があり、おじゃますることができました。
新幹線に乗る前に買ってもらった、浅草今半のすきやき弁当。
お肉の火の通し具合がすばらしく、ごはんとの最高の相性で、冷めたすきやきのお弁当なんて・・
と食べる前まで思っていた私は、買ってもらった人に、おいしい!を連発しておりました。
このたびの地震、津波、そして原発事故、まだまだ収束のめどが立たないまま、不安と不便とたくさんの不都合のなかで東北、北関東、首都圏のみなさんは、精一杯、過ごしておられることと思います。八戸、久慈、二戸、福島、石巻・・・と東北の沿岸部は、コナモンにゆかりをもつ人たちがたくさんおられるので、たいへん心配していましたが、連絡をとることもできず、落ち着くのを待っていました。八戸の木村さん、久慈の谷地さん、小野さん、二戸の小林さんは、先月まで開催されていました北のコナモン博覧会にかかわっていただいたご縁でメールのやりとりをしていまして、町の復興のために、尽力されておられます。おそらくそうだろう・・と楽観していましたが、その通りで何よりでした。そして昨日、浪江町の阿久津さんと電話が通じ、お話しすることができました。すでに山形に避難されてて、でもガソリン がなくて・・とおっしゃってました。お声はしっかりされてましたが、それが逆に気になりました。浪江町のB-1のみなさんは、お元気とのことです。みなさんによろしくお伝えください! ということでした。水戸の製麺所の川崎社長は、工場の裏の川が、まるでアマゾンのポロロッカのようでこわかった! とおっしゃっています。ほかにも、千葉、埼玉、神奈川、別の地震のあった長野や富士宮、予測できなかった天災と、二転三転する人災に言葉もありません。一大事のとき、そこのトップが出向いて、責任をもってきちんと対応できないようなものを作るのは、やはりまちがっていた・・という気がしてなりません。原発の本当の恐ろしさを、初めて実感しています。阪神大震災のとき、実家は半壊、わが家も中はぐちゃくちゃでしたが、それとは比にならない悲惨な現実が美しい町で起きているのかと思うと胸が痛みます。お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。また程度の違いはあれ、被災され、避難生活を余儀なくされてる皆様のご健康を祈ります。余震も、停電も、断水も食糧難もまだまだ続くと思いますが、私たちがこの極限の危機を乗り越えることで、日本の社会がより素敵に再生できますよう、気を引き締めていきたいと思います。阿久津さんはじめ、みなさんのご健闘に励まされながら、私もがんばりたいです。