難波りんごさんのお誘いで、先日カタシモワイナリ^ーにおじゃましました。
高井社長とはいろんなお席でお目にかかっているものの、ぶどう畑は初めてです。
安堂でおりて、斜面に見える「柏原ぶどう」の看板をめざします。
まさか、あの看板まで、ぶどうをほおばりながら登っていくとは、予想していませんでしたが、
何種類ものぶどうにつられて、はいあがっていくことになるんです。
大阪のぶどう栽培の歴史は古く、奈良時代に平城京への謁見の許可をこの地でひと月ほど待つという、由緒ある土地柄。
河内六寺の屋根には、ぶどうの刻印もあったらしく、当時はまだフルーツとして生食していました。
のちに甲州ぶどうが有名になっていきますが、河内は紫という品種を、甲州の古木と交換するほど、2大産地でした。
100年以上の木から、そのままいただけるなんて、100歳を保証された気分です!
これはカベルネソーヴィニヨンだったか、どうか・・
高井社長が次々に畑を回らせてくれるので、どのぶどうがどれだったか、ほとんど覚えていません。
味ももちろん違うんですが、どれもおいしくてみずみずしくて、記憶が追いつきませんよ。
ぶどう畑に、りんごさん・・というのも楽しいですよね。
てな、調子ですから、みなさんにもたずねてもらいたいです。
この地で生まれ育った高井社長は、ぶどう畑を注いで35年、常に大阪のぶどう酒業界を牽引されてきました。
若手のシェフたちに畑を開放したり、2003年からは、北新地カハラの森さんとのオリジナルワインも作っておられて、私もお店で頂戴したことがありますが、この日は、カハラ畑の森さんぶどうや、ソムリエの岡さんぶどうを生食できて、めっちゃ得した気分でした。
お酒に弱いので、ワイン好きといえども、生のぶどうには代え難いものがあるんです。
日本一だった大阪のぶどう、いまは7位ということですが、このワイン文化をもっと知ってもらうために、大阪ワイナリー協会を準備しておられます。
豆知識 ※大阪のワイン作りの歴史は、大正あたりに、台風で落ちてしまったブドウをワインにするため、 ぶどう農家が日本酒の杜氏を招いて、見よう見まねで作り始め、 戦時中は、葡萄酒の酒石酸が、電波兵器や、海水を真水にする機能があったとかで、 ぶどうの生食は禁止され、葡萄酒にしてすべて軍隊に送られたようで、 テイスティングした建物の天井も、射撃を受けた穴がいくつもありました。