山田町がどんな町だったのか、まったく想像もつかないほど、瓦礫も撤去され、いまはさら地になっています。
走りすぎるだけでは、人の気配もなく、生活の片鱗も感じられませんが、ちょっと立ち寄ってみると、
これまでの暮らしの一端が感じられる遺物に出会います。
曲がりくねった「ひなん路」案内。
道路には「津波浸水想定区域ここまで」という標識が何度もあります。
このあたりは、本当に津波が多い場所なんですね。
3つに折れ曲がった大きな電柱。無残な鉄筋が物語るのは、津波の破壊力、自然の怖さ。
おそらく主を失った家に、そっと飾られた、子供の絵。
そして、お風呂屋さんの店先。
シャッターのゆがみ、下足箱の倒壊、屋号も海に消えて、「湯」の文字だけが読み取れます。
国道45号線からみた、山田町の中心市街。
蔵らしきもの、わずかな建造物が、わびしく残されて、あとはなにもかも片付けられていました。