『鳴ちゅる』
中野晃治著 メディコム刊
カンヌを意識した映画もできるし、冷やし系も種々雑多にメニューに登場している。どこまでうどん? どこまでパスタ? いやラーメン? 協会が監修させてもらった、讃岐乾麺をつかったメニュー開発でも、オムうどん、トマトチーズ、きのこの味噌クリームうどん・・それパスタちゃうん? と突っ込まれそうな内容である。
たしかに発祥の国さえ気にしなければ、小麦粉でできているという点では、ボーダレス、区別するのもナンセンスなのかもしれない。そんなとき届いた一冊。
タイトルは一瞬、セクシーすぎて口にできなかった。でも帯のコピーを見て納得。
「鳴門のうどんは快感を食べてる」
そうです、私が好きなうどんは、そういううどんなんですよ。
じつはこの名言を吐い徳島の名麺堂店主、泉ガンボさん。お正月にお目にかかったとき、鳴門うどんの存在を知らなかった私に説教してくれた人である。
以来、どんな食感なのか、あれこれと想像だけが働き、イメージがふくらみ、それでも徳島にいけないまま、体感できないもどかしさに苦しむ私。仕事では、讃岐や大阪ばっかりで、鳴門のなの字も出てこない悲しさ。
その思いに楔を打つように、このコナモン名著は出版されたのでした。
・・・そうした男性的な強さで勝負してないのであった。あくまでもお出汁やお揚げとの一体感を求めており、下町人情的な懐かしくも、心優しい味わいなのである。
しかも麺はとてもヘタウマな感じで、一本一本は細く頼りなく、もうどこから見ても手づくりだもんね、という様相であった。誤解を恐れずに言えば、手打ちうどんの切れ端ばかり入ったうどん、とでも言っていいだろうか。・・・
こういう素直で誠実な文体に弱い私にとって、これ以上この本を読み進むことはできない。中野さん、どうか許してください・・・。鳴門への思いが高まって、はじけてしまいそうだからです。
皮肉にも讃岐に押されまくっている大阪うどんの復権を謳っている私にとって、鳴ちゅるの世界は、総本山の奥の院を知らないまま、お参りしたと勘違いしているのと同じで、歴史的にも庶民文化としても、鳴ちゅるを知らずして、讃岐も大阪も、ましてや博多も筑後も伊勢も語ってはならない、ことを痛感している。
たとえば、きつねうどん発祥の店、うさみ亭マツバヤさんの手もみうどんは玉子を入れるが、この手法がもしかしたら、鳴門の流れである可能性もぬぐえないし、食感からいえば、博多うどんとの関係もさぐる必要があるだろう。いすれにしても、ガツンとしたシコシコ讃岐一辺倒になりがちな、わが国のうどん界において、一石を投じることはまちがいないのである。
それにしても、できのいい一冊。
カメラマンである著者の目線が、愛情こもったレンズとなって、鳴ちゅるワールドをフォーカスしていく、それがまた快感なのだ。
この夏はまた、うどんがきている、らしい。